本来なら社寺は心の拠り所、仏や神を信じる人が黙って拝めば良い。それじゃ維持できないからと、喜捨を求めて賽銭箱、裕福な人は鳥居や燈籠など寄進。元々はその程度だったのに、信仰心を煽って御守りや御神籤、御朱印もその流れのような気がする。加えて社寺は基本的に非課税、修行に精進する僧侶や神官は財を求めない前提のはずだよね。

葬儀の際に僧侶の派遣、これも物議を醸してるけど、故人に対する哀悼を金銭に換算してたのは寺院の歴史。御朱印は達筆で美しいから、欲しがる人もいるだろうが、所詮は参拝した自己満足の記念品。形があれば売買は需要しだい、割り切るしかないと思うけど。不快感を覚えるとしたら、何を根拠にしてるのか、宗教関係者は自問自答すべき。

神仏に仕えるのは、立身出世や栄達から一番遠い志。我欲を捨て神仏の教えに従えば、民に尽くす人生になるから、その姿を皆が敬う。専門の大学を出たり、寺社で定められた課程を務めれば、それなりの資格は得られるだろうが、それだけじゃ人は手を合わせないよね。まして相続も含めて諸々の利権、貪ってる輩に偉そうに説教などされたくない。